全5回
- Seminar5 開催予定日時
11月14日(木)20:00-22:00
12月12日(木)20:00-22:00
2025年1月9日(木)20:00-22:00
2025年2月13日(木)20:00-22:00
2025年3月13日(木)20:00-22:00
ISBN:978-4150505967, 978-4150505974
私には、ポスト・バブルの下り坂を象徴する、ある種の諦観を感じさせた一冊の本がある。それは中公新書の、本川達雄 (著)『ゾウの時間ネズミの時間: サイズの生物学』(1992/8/1)である。私が読んだのは1998年頃で、その印象は前職での相模原の風景と重なり合う。本書は当時かなりのベストセラーになったので、ご存じの方も少なくないと思う。
長命なゾウのゆっくり経過する時間と、短命なネズミの大急ぎで経過する時間、その二つの異なる生命現象が実は同じ数の総心拍数に基づいている、という生物学的な知見を詳細に説明した内容だったと記憶している。もちろん我々人間もまた、同じ哺乳類として同じ心拍数の総数を生きて死ぬことになる。当たり前の事ではあるが、無限に続くことのない有限な人生が、総心拍数という客観的な数字で、まさに定量的に明示されたことは驚きであった。ただ、そこで感じた「諦観」は、限りある人生の儚さに対するものではなく、もう少し別のところにあった。それは、「なぜその総心拍数なのか?」という原理の説明が十分に読み取れなかったからであり、結局は「人生の有限について科学は原理的に説明できず、したがって人間が生きる意味もまた科学では説明できないのだろう」という、まさに科学的知識の存在意義に関する諦観を感じたからである。
話は変わるが、読むラボの次期課題図書として、私は新たに「科学」に関する本を扱いたいと思っていた。そのために手当たり次第に10冊程度を読んだが、これという本に出会えない時に、図書館でたまたま手に取ったのが本書だった。書架で数ページ覗き見たときの印象は、先に述べた『ゾウの時間ネズミの時間』をなぞっているように見えて、あまり好意的に映らなかった。ただ、著者が理論物理学出身であること、そして帯にはTEDで有名になったと書いてあったので、苦し紛れの候補として、とりあえず読み始めることにした。しかし、予想に反して興味深く好奇心を揺さぶり、示唆に富んだ読書となった。そして何よりも、物理学者の書いた理論的説明の中で、微分も積分も出てこない本は、これが初めてだった。そして諦観を越えて、もう少し科学に興味を持ってみようかという、希望的な思いを新たにすることができた。
本書の核心は、指数関数という覗き眼鏡による「スケーリング」という幾何学的な方法を用いて世界を科学的に理解することにある。そして本書は、生命(哺乳類)ばかりでなく、都市や企業のライフサイクルについても、同じ理論で定量的に読み解こうとする「複雑適応系科学」の序説であり、そこに著者の深い洞察と強い意志が描き出されている。くわえて、その独特な書き口において、多様性に関する具体的な展開が見られるという点を指摘しておきたい。つまり、科学的な論理性と、個人的な歴史性や生活史、その量的記述と質的記述の二つが不思議な創発を生み出しているというのが、本書の成功の鍵であったと思われるのだ。
「啓蒙」の名のもとに、理念的で合理的なモデルの中に世界を閉じ込める近代思想が、早くは20世紀に、遅くとも21世紀とくにポスト・コロナにあって、その終焉を迎えつつあることは、多くの人が感じているところだろう。今年2024年が世界的な「選挙の年」であることもまた、単なる巡り合わせとは思えない。きっと何かが終わり、何かが始まりつつある。しかし、その私たち自身の現実を、私たち自身が客観的に見渡すことは難しく、その先の世界を思い描くことは更に難しい。その中にあって、本書テーマの「スケーリング」理論と、著者が選んだ多様性のナラティブ、その両者の絶妙な組合せの中に、私には大きなヒントが示されていると感じられた。理論とナラティブ。さて、皆さんはどのように読むのだろうか。