全7回
- Seminar 8 開催予定日時
10月8日(木)20:00-22:00
11月12日(木)20:00-22:00
12月10日(木)20:00-22:00
2027年2月11日(木)20:00-22:00
2027年3月11日(木)20:00-22:00
2027年4月8日(木)20:00-22:00
2027年5月13日(木)20:00-22:00
中村元隆 訳
Finite and Infinite Games(1986)
JAMES P. CARSE
ISBN 0-02-905980-1
訳文
職場で「AI時代の人材とは?」という話題になり、その時の簡単な結論は【質問力:プロンプトを書く力】と【AIのミスを見逃さない:判断力】だろうということでした。その議論をきっかけとして考えはじめると、AIの魅力を私は、1回の質問と回答で完結することよりも、そのサイクルがどんどん発展するところにあるという思いに至りました。そして、その時に突然、17年前に手に入れた本書のことが思い出されたのです。
本書『Finite and Infinite Games』を入手した2009年当時の私は、博士論文の準備のために関連しそうな資料を幅広く渉猟し、その過程で本書と出会いました。ぼんやりとした記憶ですが、おそらく他の資料の出典先として本書の存在を知ったのだと思います。手にとり、その英文を数ページを眺めたものの、忙しい渉猟過程のためそのまま本棚にしまい今日に至りました。つまりは、論文への直接的な資料とはならないだろうと考えたのですが、不思議と心に残る文章だという印象が鮮明に残りました。同時に、これほど魅力的な本なのだから、近いうちに訳書が出るだろうと考え、後日つまりは博士論文を終えた後にゆっくり日本語で読む機会があるだろうと考えたのでした。
職場でのAI談義のあと私は、さっそく検索し訳書を探しましたが見つかりませんでした。見つからない、つまり邦訳は存在しないということを知った時に、私は少し落胆しました。それは単に探している物を見つけられなかったという徒労感ではなく、何故あれほど魅力的な本が邦訳されていないのだろうというか、という少し大袈裟に言えば文化的な喪失感を味わいました。しかし、17年前のわずかな印象を私の妄想が肥大化させているかもしれない、とも考えられます。そのため、その迷いを確かめたくて、本棚から取り出しました。
17年間ぶりに開いた本書は、アメリカ製の安いペーパーバックということもあり、だいぶ変色が進んでいましたが、とくに読みにくいということはなく、2度目の読書が始まりました。そして最初に拾い読みした時の印象が、薄れることなく、むしろより鮮明に浮かび上がり楽しくなり、今回はしっかり読み進めようと決意するに至りました。本書の魅力の一つは、平明な英文で書かれていることであり、そのため英語力に不安のある私でも、読み進められそうに感じさせてくれるのです。さりとて、すらすら読み進められるほどの能力はなく、インターネットの辞書を立ち上げ、単語をひとつずつ打ち込むことになりました。
読み進めるうちにふと、自分の好意的な感想だけでなく、世界的にはどのように評価されているのだろう、ということが気になり始めました。そこで再び検索を進めるうちに、Internet Archive に本書『Finite and Infinite Games』が収蔵されていることを知りました。そして、そこで全文のテキストファイルを入手することができ、読み進めることが、より容易になりました。
そしてこのテキストファイル入手をきっかけとして、英文の本書をただ読解するのではなく、これを機会に本書の全訳を作るという野望に目覚めました。その第一の理由は、英文読解ではどうしても頭の半分以上が英文翻訳に充てられて、内容を味わう喜びがその分減ってしまうということです。そしてもう一つの理由は、訳文を完成させることができれば、読むラボやその他の友人たちと、本書を共有し、ディスカッションすることができると考えたからです。とはいえ、貧しい英語力を補うのに、その猛々しい決意だけでは全く足りません。この翻訳プロジェクトに踏み出した最後の決定的な要因は「AI活用」でした。そして「AI活用の実感」を感得しつつ作業を進めることが、本プロジェクトのもう一つの目標になりました。
例えば本書の第1章のボリュームは全31節、約40頁あります。その1章分の英文テキストをAIに入力すると、瞬時に訳文が出力されます。そして、ここから英語学習を兼ねた私の翻訳作業が始まります。作業の最初の段階は、一つのファイルに英文とAI翻訳を対置させること。そして一語一語、一文一文の対照関係を正確に読み取ります。この過程が実は、かなり密度の高い英語学習になりました。AIが間違えることはめったにありません(たまにあります)。しかし、多くの場合AI翻訳は「正確すぎる」傾向があり、おそらくこの辺りが人間とAIを分けるポイントになると実感しました。構文理解つまり、主語・動詞・目的語・補語の見極め、5文型の理解、そして修飾関係において、AIは素晴らしい働きをします。しかし、そのような「正確」な訳文は、日本語としては生硬に過ぎ、読みにくいものになります。そしてただ読みにくいだけでなく、その生硬さが文脈的理解の妨げになってしまうのです。最終的に調整された日本語の、一語一語、一文一文が、全体的な文脈の中で調和的に響くことで、翻訳作業が終了します。そして、その響きを味わうことこそが、翻訳の楽しみであると同時に、本文理解の証になると感じました。
本書は、番号付けされた101の節が、全7章に収められています。そして各章の最初の一文がそのまま各章のタイトルとして提示されます。最初の一文は「ゲームには、少なくとも2つの種類がある」で、これがそのまま第1章のタイトルになっています。そして文章は「一つは有限なゲーム、もう一つは無限なゲームと呼ばれるものだ。」と続くことになります。本書のゴールは「無限なゲームとは何か」そして「無限ゲームのプレーヤーとは何か」について、多くの対比を用いたナラティブを展開することです。
本書はカント哲学のように、精緻な概念を用いて思想の大構築物を作り上げることを求めません。そうではなく、読み手の多くが持つであろう、パーソナルな心情やパースペクティブに呼びかけ、共にナラティブを編み上げようと誘います。つまりは、枠づけされた概念の構築はすなわち「有限なゲーム」による浸食であるため、「無限なゲーム」へと誘う本書ではそれを境界線で囲うことなくむしろ地平線への動機づけとして受け入れることを求めます。仮に「無限なゲーム」の精緻な概念化を求めて本書を読み進めた場合、「無限なゲームは、ただ一つしか存在しない」という本書の最後の文章に出会い、がっかりするかもしれません。そうならないための処方箋は、無限なゲームは、捉えどころがないが、まさにその捉えどころのなさへの肯定によってのみ、創造性が開かれ、人間性が解放されるということを、思い出すことです。これは、あらゆる賢者が異口同音に述べるところであり、その意味でとくに本書のオリジナルとするところではありません。本書の価値は、「無限なゲーム」というユニークな視点を与えることで、他者から与えられるのではなく、自分自身の思考とナラティブを通じた創造性や人間性へのアプローチを私たちに提供してくれることなのです。その意味で本書キーワード「無限なゲーム」は、「私に支点を与えよ。されば地球をも動かしてみせよう」と述べたアルキメデスの支点の一つなのかもしれません。